かのスクイリネは出してみろと申したが、どうもうまくはいかぬ。
股間からAVAはどうもうまくいかぬ。
うまくいくのは雑巾の、あの、小学校の頃に牛乳を拭いた雑巾のなかなか落ちないもののような、そんな臭いだけではないのか。
まったく、どいつもこいつもわかっちゃいない。ドイツはわかっているのか。
不問にされたその行いをしたその者の心が何処へ向かうのかについてはどうも思慮が浅いと。
自動車のナンバープレートなど全てSONY製品のヴァイオレットにしてしまえばよいのか。非常に気分が良い。
あたたかさが必要か。
あたたかいひだまりのような場所が必要か。
だが裏がある。誰にも分からない。
誰にも見抜けないということは存在しないということだ。
観測者のいない宇宙は意義を持たない。そういうことなのや。
全てを不問にしてよい。意味は無い。
キリスト教ではこれをアガペといったか慈悲といったか知らんが、さすがにここまで広がる宗教を作った者にはわかっていたということなのん。
中華料理のクラゲはまず塩漬けにする。海に住む時点で既に塩漬けだ。
貧困なイメージ。
大丈夫だ。