近代社会

僕はいま揺れている。いや、揺らされてるのだ、揺らされに来ているのか?わからない。だが今は揺れているで合っているのだろう。そして、止まる。それぞれの場所に人が出入りする中で水に鼻毛だけをつけるように、ひっそりゆっくり周りを見渡す。「チッ」と、舌打ち混じりの投げキッスをする。今回はハズレかと。僕は諦め、空を見上げる″今日も空が綺麗だ″と豪雨の空を眺めて口に出す。空が綺麗なのか、それとも僕が汚いのか、あるいはその逆なのか、わからない。僕にはわからない、いや、わかりたくないのかもしれない。わかってしまったら、何かがそこで終わってしまう予感がしたのだ。また答えの出せない疑問を作ってしまった。こうして僕はこれからも答えの出せない疑問を増やして行くのだろう。その答えを出すのは、そうだな…人生最後の日にでもしようかな。まとめて出しちまえ、その方が後が楽だろう。そう思いながら今日も布団に入り、眠りにつく…そう、形のない何かを待つように、揺らされながらね。ニッ

 

 

股間から、世界へ駆け出そうぜSAY YEAH  股間の躍動だOH YEAH BABY 

かのスクイリネは出してみろと申したが、どうもうまくはいかぬ。

股間からAVAはどうもうまくいかぬ。

うまくいくのは雑巾の、あの、小学校の頃に牛乳を拭いた雑巾のなかなか落ちないもののような、そんな臭いだけではないのか。

まったく、どいつもこいつもわかっちゃいない。ドイツはわかっているのか。

不問にされたその行いをしたその者の心が何処へ向かうのかについてはどうも思慮が浅いと。

自動車のナンバープレートなど全てSONY製品のヴァイオレットにしてしまえばよいのか。非常に気分が良い。

あたたかさが必要か。

あたたかいひだまりのような場所が必要か。

だが裏がある。誰にも分からない。

誰にも見抜けないということは存在しないということだ。

観測者のいない宇宙は意義を持たない。そういうことなのや。

全てを不問にしてよい。意味は無い。

キリスト教ではこれをアガペといったか慈悲といったか知らんが、さすがにここまで広がる宗教を作った者にはわかっていたということなのん。

中華料理のクラゲはまず塩漬けにする。海に住む時点で既に塩漬けだ。

貧困なイメージ。

大丈夫だ。